eスポーツは、スポーツなのか、スポーツではないのか。それぞれの意見から、私が出した結論は

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eスポーツは、スポーツなのか、スポーツではないのか。

この議論について、テレビやインターネットで日々語られている。市場規模が急拡大するeスポーツの世界で、スポーツだ派スポーツではない派、それぞれの思惑が見え隠れする。

スポーツだ派の意見として、「sport」の本来の意味や語源を指摘する人が多い。19世紀から20世紀にかけて使われるようになった言葉で、語源はラテン語の「deportare」。日々の生活から離れた、休養や娯楽などを意味していた。そこから、フランスやイギリスなどで形を変えて伝承され、今の言葉になったとされる。体を動かす、というよりも、遊ぶこと、という意味で使われていた。だから、eスポーツもスポーツだ、という理論だ。

スポーツではない派の意見として、スポーツは身体の能力を高め、他者と競い合うもの、とするものが多い。言葉は常に変化する。現代社会では、「スポーツ=運動」として使われることが多いのは確かだ。しみ込まれたその確固たるイメージの上では、椅子に座ってボタンを押して戦うゲームを、スポーツと呼ぶことに抵抗があるようだ。

これらの議論はしばしば、これはどうか、あれはどうか、と例外祭りになる。将棋、囲碁、カーリング、射撃。例外を指摘し、じゃあこれはスポーツなのか、あれはスポーツじゃないのかと、カテゴライズの線をどこに弾くのか、ミリ単位のせめぎ合いが続く。

また、ゲームに没頭し、日常生活がままならなくなるゲーム依存症を指摘する者も多い。健康のための運動、依存症の危険があるゲーム。スポーツではない派は、eスポーツのスポーツ加盟を阻止するべく、あの手この手を使う。なぜ野球は一筋と言い、ゲームは依存と言うのか。スポーツだ派が対抗する。

では、eスポーツがスポーツであると万人に認められたら、どのような恩恵があるのか。ひとつに、オリンピックに代表される世界的なスポーツイベントに、eスポーツが加えられる可能性が高くなることだ。競技人口が増え、市場は一気に拡大し、若い人のゲームから、老若男女が楽しむ身近なスポーツに変化する。おばあちゃんがゲートボールをする感覚で、公園でストリートファイターをする未来が来るかもしれない。教育現場では、授業に取り込まれる可能性も出てくる。国語算数理科eスポーツ。クラス全員でウイニングイレブンを楽しみながら、協調性を学ぶ時代が来るかもしれない。

eスポーツがスポーツとして認められ、スポーツイベントの種目に選ばれるには、いくつかの大きなハードルがある。ひとつは、各ゲームにはそれぞれコンテンツホルダーがいること。サッカーは誰のものでもないが、ストリートファイターは株式会社カプコンのもだ。オリンピックでeスポーツが正式種目に追加された場合、放映権やコピーライトの問題がクリアになっていない。また、普遍性を疑問視する声もある。4年後に同じタイトルのゲームが流行っている確証はない。新たなタイトルが日々開発され、人気も移り変わるeスポーツの世界で、普遍性を訴えるのは難しい。

私はこう考える。今はスポーツではないが、近い将来、スポーツになるもの。スポーツではない派の意見は、「スポーツ=運動」という古来の思想に縛られ、現状の課題を掲げているにすぎない。変化する社会に生き、課題を乗り越える人間にとっては、無価値である。世界がいま、eスポーツに注目し、その可能性にかけ、発展を目指している。夢中なのだ。

今すべきことは、スポーツか否かを議論することではない。原石を磨き上げ、文化を前に進めること。その先の舞台で、自分がどのように輝けるのかを、個人が考えること。私は、メディアという道を選んだ。あなたは、何を選ぶだろうか。

文・編集長コノ

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